思い込みをしていませんか?

アダルトチルドレンやHSP、内向型の方はとにかく人の言動を気にしがちです

気になるのは気質であるため、それは仕方のないことです。

 

しかし、他人が自分に対して言ったことや

自分に向けて振舞った態度に対して

勝手に言動の意味を思い込んでしまうこともあります。

 

あの人はわたしを嫌っている

あの人はわたしと居るのがつまらないだろう

どうせわたしはダメな人間なんだ・・・

 

 

 

そろそろ高校野球、夏の甲子園が始まりますね。

 

例えば

ある高校野球チームの中で

今までレギュラーであった球児が、監督によってレギュラーを外されたとします。

その球児は「自分は監督に嫌われたのだ」

さらには「自分には野球の才能がないんだ」

と思ったのです。

 

 

そう思ってからというと

とても悲しい気分になり、野球の練習に出ることが怖くなっていきました。

 

練習の際には、監督に見られているかと思うと

肩に力に入って、緊張して身体が固くなりがちになりました。

 

そうなると、ますます体の反応が悪くなり

思うようにプレーができなくなっていったのです。

「やはり自分は能力がないんだ」

「ますます監督に嫌われてしまった」

さらにこのように思うことによって

萎縮してしまって

プレーに力が入ってしまい

思い切ったプレーができなくなります。

 

 

このように悪循環の罠におちいってしまったのです

 

つまり

「自分は監督に嫌われたのだ」

「自分には野球の才能がないんだ」

という思いは『認知』

といわれます。

 

 

この『認知』によって

「悲しい気分」「怖くなっていった」

という『感情』が生じます。

 

「肩に力に入って」「身体が固くなる」

という『身体反応』

そうなることによって

「思うようにプレーができなくなる」

という『行動』に悪影響がでます。

 

 

「自分は嫌われている」

「自分に才能がない」

『認知のゆがみ』

ともいいます。

 

 

この『認知のゆがみ』

『感情』

『身体反応』

『行動』

に直接影響を与えるのです。

 

 

このような形です。

『感情』

 

『認知』 → 『身体反応』

 ↓

『行動』

 

 

 

でも、実際にはこの球児はどうなのでしょう?

 

本当に

「自分は監督に嫌われたの」でしょうか?

 

それとも

「自分には野球の才能がない」のでしょうか?

 

 

結論をいうと

これは「思い込み」にすぎません。 

 

監督は「たまたま機嫌が悪かった」だけなのかもしれない

他の選手を試すために「敢えてレギュラーを外した」のかもしれない

そもそも「才能がなかったらレギュラーになどなれなかった」のです。

このような見方(=認知)もできるはずです。

 

 

 

悪い見方をしてしまうと

監督に嫌われて

悲しい、落ち込んでしまう、くやしい、こわい

といった『感情』ばかり見てしまって

『感情』にとらわれてしまいます。

 

 

ここはいったん

感情を切り離す必要があります。

 

 

そのためには

「思い込んでいる」と気付くこと

『思い込み』と『感情』を切り離すこと

 

 

そして『思い込み』=『認知のゆがみ』

を客観的に正しく修正することが大事になるのです。

 

 

みなさん、思い込みに心当たりはありませんか?